UP令和5年3月15日
190回武庫川エコハイク

「三田 昔の武庫川・今の武庫川を歩く」実施報告

エコグループ・武庫川
日 時:令和5年(2023年)3月11日(土) 9:40〜14:50 晴れ 気温 10時14℃(正午22℃)
行 程:JR「三田」駅前(9:42挨拶とコース説明)〜欣勝寺(10:00説明)〜桑原・感神社(10:21説明)〜桑原農道(旧有馬線跡・昔の湿地帯等説明)〜武庫川鉄屋橋(10:40昔の宅地嵩上げ洪水対策石垣等説明)〜下田中地区の旧武庫川水路(10:46昔の武庫川跡/今は三面張り水路説明)〜広瀬橋(11:05国道176号線)〜平成大橋〜相生橋〜本町通り(11:24昔は本通・丹波街道説明)〜道標(11:30三輪神社への道説明)〜車瀬橋〜万年橋・一乗寺公園(11:37浸水常襲地等の説明)〜お旅所(11:43三輪明神のお旅所説明)〜176号線〜鳥居・三輪村道標〜三輪明神窯史跡園(12:00-12:40昼食休憩/三田焼の説明)〜三輪明神(説明)〜大井ノ元(元宮水・丹波街道説明)〜三輪3丁目交差点〜丹波街道〜川除公民館(13:15川除の井戸説明)〜176号線〜御殿橋〜川除上橋〜川除の武庫川改修工事記念碑(13:35池尻川合流点等説明)〜松山堤(昔の武庫川跡説明)〜総合庁舎前交差点〜天満神社(14:00説明小休憩)〜有馬高校・三田城跡・古城浄水場・小学校・三田御池(14:15三田城跡・金心寺跡等説明)〜九鬼家資料館(14:21-30自由見学)〜鍛治屋橋〜JR「三田駅」(14:50安全確認、次回の案内をして解散する)
( )内は案内担当:岡・上田(宏)の説明 当日配布資料(行程説明書次回行事案内年間予定表
参加者:45名(内訳:一般参加者36名+スタッフ9名)
 一般参加者は宝塚市・西宮市・尼崎市・伊丹市・神戸市北区・三田市の流域各市からの参加の他、流域外からは神戸市中央区・兵庫区・垂水区・須磨区・三木市・大阪市北区・福島区・池田市などの地域からも参加を得た。地元三田市からは5名の参加があった。
所感:
 本日も高気圧に覆われて急に春になったかのような天気が続く、10年に一度の高温という、桜満開頃の暖かさである。参加者は阪神間の常連の方が主であった。山歩き常連の遠方の方の顔が見られなく少し寂しい感じがする。今回は武庫川河道の変遷、歴史跡の三田地区を歩きます。武庫川の源流は丹波篠山市にある。篠山市から三田盆地までは緩やかな傾斜であり、道場を過ぎると武庫川渓谷の急流となり、上流にあるはずの渓谷が下流沖積平野の直上にあるけったいな川である。川は流れが緩やかになるほど蛇行します。旧武庫川は三田盆地の中を蛇行しながら流れていた。大雨の度に支流が溢れて浸水被害が起きる常襲地であった。度重なる洪水被害から守るため、昭和50年代から60年代にかけて河道を直線化し堤防強化の工事が取り組まれた。今回は三田と新旧武庫川の歴史跡を歩き武庫川治水の歴史を知る機会と説明してスタートする(行程図と説明書を見ながら)。

昔の武庫川(明治43年)

今の武庫川(令和4年)
「桑原地区」
  最初の案内は市の南東部農業地域の桑原である。桑原地区は昔湿地帯であったが明治40年代初めに「耕地整理」され美田に生まれ変わった、明治の地形図でもよくわかる。記念碑が欣勝寺前にある。「欣勝寺」雷除けで有名な伝説など紹介する。続き「感神社」は、京都八坂神社から分霊したと伝えられる桑原の氏神。神社の紋所は八坂神社と同じ木瓜(もっこう)紋、きゅうり伝説等の説明をする。

桑原欣勝寺

雷伝説の井戸

桑原感神社

木瓜(もっこう)紋
「旧武庫川」
 農道を下田中鉄屋橋へ進む途中、昔の有馬線跡が見られる(現在はソーラーパネルの敷地)。また、この地の農家の古い屋敷は洪水対策で嵩上げした石垣、当時の様子がよくわかる。鉄屋橋右岸を少し下ると旧武庫川の水門がある。この地の武庫川は大きく蛇行していた。洪水被害の常襲地であった。洪水被害から守るため昭和50年代に河道の直線化と堤防強化の改修工事が行われた。旧武庫川は現在三面張り農業用水路である。山脇を通る水路を歩く、道脇にはオオイヌノフグリ・ヒメオドリコソウが連なり満開、カンサイタンポポ・タネツケバナも賑やか、早春の野道を楽しめた。

今の武庫川(鉄屋橋から下流)

昔の武庫川(水門近く)

昔の武庫川を歩く
「三田本町」
 下田中地区から三田市街地へ入る。途中神鉄線を潜る旧武庫川の通水暗渠が見られる。平成大橋から左岸に移り相生橋を渡り本町通りへ進む。本町通りは旧丹波街道であり、かっては町の中心であった。古い商家が並ぶ、陶祖内神屋惣兵衛旧宅、交流館など、三田町道路元標所商店街を北へ三輪明神の参道筋進む。三田で最も古い「車瀬橋」を渡り「一乗寺跡万年橋」にでる。かって一乗寺池があったこの辺りは堤防の決壊がよく起きる「正宗堤」があり、犠牲者を弔うため一乗寺が建立された。今は一乗寺公園となって、一乗寺地蔵尊が祀られている。「万年橋」の欄干が残されている。

平成大橋から三田の市街を流れる武庫川

三田本町 旧丹波街道 昔の商家が残る

車瀬橋

万年橋

三輪神社参道
「三輪神社」
 北へ進む参道に三輪明神のお旅所がある。R176号線を渡った所に大石鳥居、その下に「三輪村道路元標」がある。大正年代に全国一斉に作られた。三輪神社横の坂道を上り裏山の「三輪明神窯史跡園」に到着、昼食休憩とする。窯跡を見下ろしながら、暖かい日差しの陰で気持ちよく食事が出来た。三田青磁などの三田焼は18世紀の半ばから三田地で焼かれ始め、この明神窯では江戸時代後期から昭和10年頃まで焼かれていた。1号窯は県指定文化財。全員で詳しく説明を聞きたかったが時間都合で希望者のみの自由見学とした。公園の裏山道を下り「三輪神社」の境内に出る。参拝後、丹波街道を進む。街道沿いにある「大井ノ元」湧水を案内、大きな水場、かっては飲料水として利用されていた。

三輪神社鳥居

三輪神社

三輪明神窯史跡園 明神窯 1号炉

明神窯で昼食
「川除」
 旧丹波街道を川除まで晴天の舗装道を歩く、疲れがたまる感じだ。川除公民館の敷地内にある「川除の井戸」の黄金伝説を紹介する。再びR176号線を渡り武庫川御殿橋にでて川除上橋を渡る。「御殿橋(おとのばし)」はもともと旧武庫川にあった橋を新武庫川へ付け替えられた橋。もとの御殿橋は九鬼の殿様が川除の豪農福井家に行かれる時だけに使われたという。武庫川右岸、池尻川・深田川合流点に昭和60年代に行われた川除地区の武庫川ショートカット工事完成の記念碑がある。改修工事を記念碑で確認して「松山堤」へ、僧行基が築いた堤防、旧武庫川の蛇行が見て取れる。

川除の井戸

池尻川合流

河川改修記念碑

松山堤(旧武庫川堤防)
「三田城跡」
 続く天満神社へのきつい階段、最後と思い頑張る。「天満神社」は有馬郡の総鎮守、平安時代以前から鎮座していた古社。摂津名所図会に三田神祠として紹介されている。春は花見で賑わう。神社を下ると「三田城跡」有馬高校付近に荒木氏の居城があった。後、山崎氏の城(古城)。九鬼家移封の時、二の丸等があった。三田小学校付近に陣屋。「金心寺跡」有馬高校中心に金心寺大伽藍があったが、荒木村重の乱で焼失し、その後、屋敷町に移転、明治2年に現在地に移転した。有馬高校内に礎石が残る。「三田御池」もともと金心寺の泉水。九鬼家の陣屋に隣接し、水軍の訓練をしていたという。帰路、九鬼家資料館に立寄る。休憩を兼ねる。

天満神社

三田城跡(三田小学校前)

九鬼家和洋折衷住宅 座敷には雛飾り

三田駅へ向かう
武庫川鍛冶屋橋を渡りJR「三田駅前」到着。予定時間よりかなり早く、暑さに負けずに全員無事で終了出来た。
エコグループ・武庫川

文/上田 宏、写真・編集/平山  

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