UP平成31年2月14日
141回武庫川エコハイク

中国街道を歩く-阪神尼崎から甲子園まで-実施報告

エコグループ・武庫川
日 時:平成31年(2019年)2月9日(土) 9:40〜14:10  終日曇り
行 程:集合:阪神尼崎駅前(9:40-55挨拶とコース説明/中国街道と尼崎の歴史等説明)〜高潮標識前(阪神尼崎地区の地盤と過去の高潮被害と対策など説明)〜庄下川橋(川の過去と現在説明)〜新尼崎城(城の歴史と復元の城3月オープン)〜櫻井神社(救護団体「博愛社」日本赤十字社の発祥説明)〜開明橋(大手門橋跡説明)〜琴城ヒノデ阿免本舗(120年の老舗)〜旧開明中公園(戦争機銃掃射の跡説明)〜寺町地区(集めた11寺と文化財など説明:本興寺・広徳寺・長遠寺・専念寺など立寄る)〜貴布禰神社(10:50説明トイレ休憩)〜三和商店街〜竹谷(中国街道道標)〜中国街道(琴浦通り)〜蓬川橋(11:22蓬川の渡しと中山道の説明)〜琴浦神社(説明)〜子安地蔵(説明)〜大庄小学校(道標と4等三角点等)・旧大庄村役場(現公民館11:40国の文化財等説明トイレ休憩)〜雉ヶ坂(秀吉伝承説明)〜西素戔嗚神社(西新田と小松の渡し跡説明)〜阪神電鉄武庫川駅(12:10〜12:45河川敷で昼食と休憩)〜潮止堰(堰の撤去河川改修工事説明)〜楠霊神社(巨樹の説明)〜阪神武庫川線(旧武庫川線の説明)〜岡太神社(尼崎領界碑等説明)〜鳴尾一本松(13:21-5代目松説明)〜鳴尾八幡神社(13:32台風被害説明小休憩)〜甲子園五番町交差点(13:51旧枝川跡と六石の渡し等説明)〜甲子園球場〜甲子園素戔嗚神社(14:07説明後参加者確認・次回案内し解散)・・・・阪神甲子園駅(約12q)
( )内は森本・岡担当の説明。当日配布資料(行程図説明書年間活動予定次回活動案内

参加者:99名(内訳:一般90名+スタッフ9名)
 一般参加者は宝塚市・西宮市・尼崎市・伊丹市・神戸市北区・三田市の流域各市からの参加の他、流域外からは川西市・神戸市須磨区・西区・姫路市・丹波市・豊中市・吹田市・茨木市・箕面市・大阪市城東区・門真市・堺市・奈良市学園・生駒市などの地域からも参加を得た。
所 感:このところ、毎日が寒気と暖気の繰り返しである。寒暖差疲労という言葉まで出てきた。雨が少なく、乾燥が深刻である。川が干上がり空地のような所も見られる状態がある。今回は街歩き、本日は朝から曇り空である。交通の便が良く近場なので地元の他、遠方奈良・堺などからの90名の参加者があった。
 尼崎市域にある近世の大きな街道は、京都と西国を結ぶ「西国街道」と、大阪と西宮を結ぶ海沿いの「中国街道」がある。今回は中国街道(浜街道)を尼崎から甲子園を歩きます。中国街道は、大阪城下高麗橋を起点に、難波橋、十三の渡し、大物浦、尼崎城下などを経由して、西宮本町で西国街道に合流します。

阪神尼崎駅前からスタート
 スタート前に、尼崎の地勢について少し説明をした。市域は、東は猪名川から中島川、南は大阪湾、西は武庫川と、三方を水際線に囲まれ、北は伊丹市域に接しています。大阪湾に広がる広大な三角州上の冲積層平地に立地しており、南に向かって緩い傾斜地で全体的に地勢が平坦で、市域の約30%にあたる地域が平均満潮位以下の低地盤となっています。また、瀬戸内海式気候に属し概ね温暖な気候の地域です。そんな地勢から、過去は想定外の高潮被害を受けた歴史が有ります。昭和9年の室戸台風、昭和25年のジェーン台風の高潮最高水位を示した標識が中央公園にあります。その前で高潮対策の現状説明をして改めて関心を呼んだ。

高潮被害標識

市域の1/3が海面下
 庄下川(しょうげがわ)は尼崎城の外堀であった。過去流域の工場排水などにより水質悪化していたが、昭和末期から平成にかけての整備工事により鯉が住める程の水質改善の説明をする。庄下川橋を渡り正面の建物、赤レンガ倉庫は阪神電鉄の尼崎車庫、昔の送電所である。尼崎城は、安土桃山時代に荒木村重が織田信長に反旗を翻した際、有岡城から逃げ込んだ先である大物城(尼崎古城)は現在の尼崎城址とは位置が異なる。現在、ミドリ電化(創業者安保詮氏)の寄付により天守復元再建され、この3月に公開される準備中であった。
 櫻井神社は、歴代の尼崎城主が祭神として祀られており、藩主櫻井信定公の救護団体「博愛社」が日本赤十字社の発祥である説明板を案内する。神社を出てすぐ開明橋(大手門橋跡)を渡ると、120余年の老舗「ヒノデ阿免本舗」、今も評判を受けている。少し歩いて、開明中学跡の公園では、古い塀に、空襲時に受けた機銃掃射の弾痕が残っている事で有名。

オープン間近の尼崎城

櫻井神社は日本赤十字社発祥の地

120余年の老舗「ヒノデ阿免本舗」
 開明中交差点前が寺町である。戸田氏鉄が尼崎城築城の際、城域にあたる大物周辺に多くあった寺院を別所村へ集め一画を寺町としたという。江戸時代の初期は20ヶ寺を数えたというが、現在は11ヶ寺が残る。今回は時間的都合で寺町の中心的寺院、本興寺と長遠寺、広徳寺などの案内で、皆さんには交通の便が良い場所なので別の機会にお願いする。続いて隣接する貴布禰神社へ向かう、尼崎のだんじり祭は同社が有名である。

寺町を歩く

貴布禰(きふね)神社
 三和商店街を通り抜け中国街道、竹谷へ入る。竹谷から、蓬川、大庄に至るまで遊歩道が整備され、「琴浦通り」と街づくりが推進されている。案外知られていないスポットである。途中、蓬川、琴浦神社、子安地蔵尊を案内して、大庄小学校・大庄公民館へ進む。大庄小学校は、かっては日本有数のマンモス校であった。校内に大庄村道標元標がある。4等三角点もある。隣接している旧大庄村役場(現在公民館)では、モタニズムを代表する村野藤吾氏の設計建築、国の登録有形文化財を紹介して休憩をとる。

中国街道道標(三和商店街近く)

蓬川(よもがわ)橋

琴浦神社

琴浦通り

旧大庄村役場(現公民館)は改装工事中

大庄小学校内にある大庄村道路元標
住宅街の細い道から、秀吉伝説の雉ヶ坂を通り西素戔嗚神社では、武庫川の渡し「西新田と小松の渡し跡」を紹介して阪神武庫川駅・河川敷へ進み昼食休憩とする、曇り空であった。

秀吉伝説の雉ヶ坂

西素戔嗚神社(写真左下に西新田の渡し碑)

西新田の渡し近く(現武庫川橋)
 午後のスタートは武庫川の潮止堰から。県の河川改修工事、潮止堰の撤去改築、河床掘削、護岸工事、橋梁補強改築など説明する。楠霊神社では樹齢推定300年のクスノキの巨樹を見て武庫川鉄橋側道を渡り武庫川線の説明をして次の岡太(おた)神社へ向かう。鳴尾地域の最古の神社である。九重供養塔、静止像(猪像)、尼崎藩嶺界碑など紹介して次の鳴尾へ歩く。古来、景勝の地であった鳴尾の弧松(ひとまつ)、住宅地に銘碑と若い5代目松を紹介する。鳴尾八幡神社では、昨年の台風被害でかなりの巨木が倒木し神社本殿も一部被害、復旧整理中である。

武庫川潮止堰を前に昼食

楠霊神社のご神木クスノキにパワーをもらう

阪神電車武庫川鉄橋側道を渡る

岡太(おた)神社 狛犬は干支のシシ(静止)

鳴尾の一本松は5代目

台風被害の鳴尾八幡神社
 最終ルート枝川の渡し跡へ向かう。甲子園筋が旧枝川であった。枝川「六石の渡し跡」は現在の甲子園五番町交差点付近である。旧枝川は積年の土砂で天井川となっており、武庫川の堤防を閉め水を遮断した後には、海に向かって長く伸びる広い大地が残った。その周辺より一段高くなっている立地が高級住宅として分譲するのに適していた。現在でも甲子園筋を中心とする旧枝川流域は周辺より一段と高くなっています、それは天井川の名残りです。枝川の土手跡が明瞭に残っている場所は甲子園駅前東側の松林が有ります。そんな説明をしながら最後の甲子園素戔嗚神社に到着。この場所は枝川と申川の三角州の要の土地であった所である。予定時間内で終了出来た。全員無事確認し次回の案内して解散する。(14:07)

甲子園に続く道路は旧枝川(六石の渡し跡の甲子園五番町交差点で)

甲子園球場前

甲子園素戔嗚神社で解散

参考:中国街道 今昔
―武庫川エコハイク ―

文/上田 宏:写真/平山   

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