平成30年1月13日

第128回武庫川エコハイク

 「宝塚の古い街道と満願寺を歩く」実施報告

エコグループ・武庫川
日 時:平成30年(2018年)1月13日(土)9:40~14:45  天 候:晴れ
行 程:
 阪急清荒神駅前(挨拶・コース説明9:45発)-有馬街道(清荒神参道/説明)-米谷一里塚(説明)-売布神社参道分岐―旧和田家住宅(10:05ボランティアガイド説明案内)―国府橋(北門・いわし坂等説明)―皇太神社(説明)―首地蔵(説明)―南門―毫摂寺(説明)―小浜資料館(10:45施設説明者の案内)・小浜宿札場辻・山中家・道標(説明)―東門(説明)―小浜村道路元標(京伏見街道分岐説明)―京伏見街道―安倉大池―天日神社(11:25説明)-北しん橋―荒牧バラ公園(12:00~12:40昼食休憩)-京伏見街道―植木通りー口谷西2(丹波街道分岐)―丹波街道―平井車庫(176道交差点13:15)―巡礼街道道標(説明)―大宝寺―最明寺滝(説明)―井植山荘(14:05説明)―不動明王―満願寺(14:35参加者確認し自由解散/駅への帰路①雲雀丘花屋敷駅コース②丹波街道山道山本駅コースに別れて帰路)・・・①峠茶屋―地蔵石仏―切畑古墳―雲雀丘花屋敷駅(15:20到着) 
 (清荒神駅前~満願寺 約11km) 当日配布資料(行程図説明書次回行事案内
参加者:105名(内スタッフ9名)
 一般参加者は宝塚市・西宮市・伊丹市・尼崎・神戸市北区・三田市・の流域各市からの参加の他、流域外からは川西市・猪名川町・豊能町・神戸市東灘区・灘区・中央区・長田区・須磨区・加古川市・三木市・箕面市・池田市・豊中市・吹田市・茨木市・堺市・岸和田市・生駒市大阪市中央区などの地域からも参加を得た。
所 感:
 このところ寒い日が続く、今日も最強寒波の襲来のニュース、日本各地で雪の被害が出ている。本日の宝塚は晴空の朝。事前の問合せも多くあった、今回のコースが近場であり、街歩きの感じなのか。集合時間には、清荒神駅前の広場も、見る見るうちにいっぱいになる。準備した100部の資料も無くなる。今回も参加者多数で、案内が難題、特に希望のある方、先頭の説明者に集まるように依頼し、スタッフの配慮も要望し挨拶しスタートする。

参加者で溢れかえる清荒神駅前
「有馬街道」
駅のすぐそばが清荒神参道入口であり「有馬街道」である。必要な説明場所であるが、この道は県道の抜け道で車両の通行が多くて大変であった。特に本日は街道歩きなので道幅は狭く、多人数で列は長くなり通行注意が重要になる。最初の説明場所、「米谷一里塚」でも狭い道、車の出合いで大変になる。
直ぐに小浜地域、案内場所が多く集中する。「旧和田家住宅」では、ボランティアガイドがあるが多人数で簡単にする。江戸時代の建築で、市内最古の民家といわれる。和田家は代々米谷村の庄屋であった事など簡単な説明で住宅内を一巡する見学となる。

清荒神参道前 左右は有馬街道

旧和田家
「小浜宿」
小浜に入り国府橋で、「いわし坂」と「北門」の説明。「皇太神社」では、明治時代大相撲の開催と地元出身の大関谷風岩五郎の話など。「首地蔵」は、首から上の病気にご利益があるなど。「南門」と「西宮街道」の合流点の説明。「毫摂寺」では、豊臣秀吉・秀継の伝承など。説明して小浜宿資料館へ入る。「宝塚市立小浜宿資料館」では、施設の説明者による小浜の歴史を昔の小浜立体地図の前で説明と、また地域に残されている様々な資料の紹介をもらう。
小浜地域は毫摂寺(ごうしょうじ)の寺内町(じないまち)として発展し、江戸時代には有馬街道、西宮街道、京伏見街道の合流地となり宿場町として栄える。また小浜は、腕の良い大工や左官のいた町としても知られ(時間の都合で大工館に立寄らず)、酒造りの技術「小浜流」を持った場所。小浜出身の力士大関谷風岩五郎の墓も残されている等、説明する事が豊富である。

国府橋 小浜宿北門 下は大堀川

小浜宿案内(クリックで拡大)

皇太神社(こうたいじんじゃ)

首地蔵

小浜宿南門 手前は西宮街道

毫摂寺(ごうしょうじ)

小浜宿中心
「京伏見街道」
小浜宿の東門から中国高速道をくぐり京伏見街道へ入る。安倉北に有馬街道・京伏見街道の分岐点、小浜村道路元標の石柱が残っている。
安倉上池から天王寺川を渡り「天日神社」で小休憩。ここは伊丹市荒牧になるが境内には江戸時代尼崎藩の領地だった角柱型の領界石が建てられ残っている。続いて天神川を渡り、荒牧バラ公園で昼食休憩とする。休憩は、晴れているが風は冷たく肌寒かった。

天日神社(てんにちじんじゃ)

天神川

荒牧バラ公園
公園から京伏見街道へ戻り、山本丸橋の植木通りを抜けて口谷西で丹波街道と交差する。山本植木町は多く住宅地に変貌してしまったが、この植木通りは、色々な樹形の樹木が、自然のままの姿で植栽され残っている唯一の場所、雰囲気があり楽しくなる。

丸橋の植木通り(京伏見街道)

阪急平井車庫(丹波街道)
「丹波街道」
口谷西で丹波街道に入り平井地区へ向かう。国道176号と巡礼街道を横切り「大宝寺」から最明寺川沿いを上り山門をくぐり最明寺滝に到着。滝の水量は豊富、そばに不動明王が祀られた本堂や行場がある。滝道から岩場の道を登ると砂防堰堤が目の前に現れる。この堰堤は平成14年3月、上流の長尾山が42ha焼ける山火事被害を受けた。その為下流で土石流・洪水被害などの災害防止対策で建設されたものである。少し進んだ井植山荘前で説明を補足した。

 唐風の大聖不動尊山門

最明寺滝
「井植山荘」について、戦前この地一帯は大阪の豪商藤田家の別荘で「松籟庵(しょうらいあん)」と呼ばれた。庭園は大阪の庭師梅園梅叟(ばいえんばいそう)の作庭である。戦後三洋電機の創始者井植歳三氏の手に渡り、現在は井植財団の所有となっている。また邸内に、大正8年奈良高円山の白豪寺の多宝塔が移築された。山火事は3日間に渡り約42ha焼失する大火事であった事、重要な多宝塔が焼失した事、火事の後の山の整備、再生作業を「櫻守の会」で取組んだ事(エコハイクのスタッフは全員櫻守会員)等の情報提供をした。

井植山荘

大聖不動明王

丹波街道の道標
満願寺へ向う途中、滝の上山にある不動明王に立寄る。満願寺から来る参道では、山面に氷柱が多く見られた。満願寺には予定時間に到着し参拝。満願寺は多田に本拠を置いた源満仲が帰依して繁栄した関係などから寺地は川西市の飛び地になっている。周囲は宝塚市である。一応ここで全員確認して解散とする(14:35)。帰路は、希望者により①雲雀丘花屋敷駅と②丹波街道山道山本駅の二つのルートに分かれて最寄りの駅に向かう。半々の参加者であった。

満願寺山門

満願寺本堂
ー番外ー
奇しくも同日、NHKテレビで「ブラタモリ宝塚」の放映があり、私たちが歩いた小浜が紹介されました。

ブラタモリ宝塚 1月13日 19:30 NHKテレビ放映
   文/上田宏、写真/平山

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