UP 平成29年12月11日

第127回武庫川エコハイク

 「有野川源流地帯・古寺山を歩く」実施報告

エコグループ・武庫川
日 時:平成29年(2017年)12月9日(土)9:35~14:10  天 候:曇りのち晴れ
行 程:
 神鉄有馬口駅9:35~水難碑9:42~専念寺(9:52~9:58)~山王神社(10:04~10:10)~東山橋10:27~猪ノ鼻小橋(10:45~10:50)~猪ノ鼻橋11:12~古寺山登山口11:22~シュラインロード九体仏11:32~(戻る)~シュラインロード分岐(11:40~昼食~12:10)~古寺山登山口12:15~(行者道)~多聞寺跡12:37~古寺山山頂(12:42~12:50)~(観音道)~展望地13:10~六甲有料道路地下道13:30~上唐櫃~多聞寺(13:50~14:05)~神鉄六甲駅14:10  歩行10km
(案内担当:森本/岡)、当日配布資料(行程図説明書次回1月行事案内
参加者:42名(内スタッフ9名)
 一般参加者は宝塚市・西宮市・伊丹市・神戸市北区・三田市の流域各市からの参加の他、流域外からは神戸市東灘区・灘区・中央区・須磨区・西区・三木市・猪名川町・豊中市・茨木市・生駒市などの地域からも参加を得た。
本 文
(詳細は説明書を参照ください)
「下唐櫃」
 朝起きたら六甲、長尾連山、箕面の山々が雪化粧していてびっくり。三田の丘陵地でも雪が積もったと参加者のお話。集合地の有馬口駅から見る逢ヶ山や、今日目指す古寺山も雪をかぶっている。出足に影響を与えたであろうか、参加者は33名と少ない。アイゼンを携帯してきた方も何名かおられた。スタートの挨拶をして、駅前の有野川の人道橋を渡ったところにある水難碑を見学する。昭和13年の阪神大水害といえば住吉川など表六甲ばかりがクローズアップされているがこの辺り裏六甲でも山津波で被災した家屋や犠牲者も多い。碑は地元出身の農政家・実業家で神戸電鉄創設にかかわった山脇延吉翁が建立した。橋から上流を眺めると、左から奥山川が合流しているのがわかる。今日は、有野川の支流奥山川を遡っていくことになる。

神鉄有馬口駅からスタート

有野川河畔に立つ水難碑

有野川 左から奥山川が合流
旧家の残る下唐櫃の坂を登って専念寺へ。おしゃもじ地蔵はすべてを救う(掬う)ということで信仰を集めており、たくさんのおしゃもじが奉納されている。案内にある赤松円心親子の供養塔は発見できなかった。お寺は無人である
次は山王神社の森に入る。創建年代は不詳だが、義経が一の谷の合戦を祈念して弓矢を奉納したという、また赤松円心親子が金幣を納めたともいう。境内は兵庫県環境緑地保全地域に指定されており、巨大なツガ、ツクバネガシ、カゴノキ、ヒノキ、エノキ、ヤブニッケイなどの古木が多い。

下唐櫃から古寺山を見る

専念寺おしゃもじ地蔵

専念寺墓地

山王神社

ツガの巨木
「逢山峡を歩く」
 道は阪神高速7号北神戸線の高架を潜る。車止めがあり、ここから奥は林道六甲森林線となる。右手を奥山川が流れる。舗装の林道を緩やかに上っていくと神戸水道局の建物があり、奥山川を一本の水管が跨いでいる。実は、千苅水源地の上水を延々鈴蘭台方面に送水しているのだそうである。東山橋は奥山川を跨いで、唐櫃台住宅地に抜ける道、本日の終点神鉄六甲駅へは近い。この辺りから上流が「逢山峡」と呼ばれる。長い林道歩きが始まる。心配していた凍結はなく、ほっとする。

阪神高速北神戸線の高架下 林道六甲森林線を行く

逢山峡を歩く(右は奥山川)
猪ノ鼻小橋を渡る。橋の下が猪ノ鼻滝で、橋から滝の部分は見えないが、手前から葉を落とした木々の間に流れを見ることができた。仏谷、続いて茶園谷の分岐を左に見て奥山川から別れて更に上がっていく。標高は500mを越えてきた。路傍に残雪が現れる。舗装道から地道に変り、猪ノ鼻橋にかかる。この川は奥山川の支流の鍋滝川。あたり防災林整備地だが、県民緑税が使われている。兵庫県民は年間500円の緑税を納めているのをご存じだろうか。

奥山川猪ノ鼻滝(左上が猪ノ鼻小橋)

猪ノ鼻橋(鍋滝川)
「シュラインロード」
 時間が早いので古寺山登山口を通過してシュラインロードまで足を伸ばす。登山口のすぐ先がシュラインロードへの分岐である。道標によれば、シュラインロード前ヶ辻まで2.0km、神鉄六甲まで3.2kmとある。鳥居をくぐると裏六甲道路(ドライブウェイ)であり、目の前にシュラインロードの上り階段が見える。シュラインロードとは別名、唐櫃道(からとみち)。江戸時代の北摂と灘を結ぶ間道。道中の安全と行商の商売繁盛を祈願して、西国三十三箇所に因んで三十三体の観音石像を道沿いに建立している。明治以後、神戸外国人居留地の外国人たちが、この道をハイキングした際に、多くの祠にちなんで、シュラインロードの名を付けた。車道を右折して50mほど先の下り車線にある九体仏を訪れる。ドライブウェイ工事の際、移動を余儀無くされた石仏を一箇所にまとめたもので、1番から8番と番外とのことだが表示が消えて分かりにくい。また鳥居近くに三体の石仏があるが9番、10番、番外と思われる。道を戻って、古寺山登山口近くのミニ広場で昼食とする。雪解けで地面はびしょびしょ。中には立ったまま食事をとる人もいた。

シュラインロード鳥居

九体仏
「古寺山へ登る」
 古寺山の登山口はテープと灰色の丸い陶板焼きの表示のみで道標はない。ここには私有地の立て看板がある。いきなりの急登が始まる。標高差は100mに満たないが、行者道(裏参道)というだけのことはある。立木を掴みながらの行進はピークに至るまで渋滞で、お陰で楽に登ることができた。ようやくピークと思ったのは南峰である。枝道が多いので前の人を見失わないように注意する。しの笹の道を抜けると右手に明らかに寺院の跡と思われる広場が見える。ここに多聞寺があったのだろう。平清盛が神戸の福原に遷都した際(1177~1180)、京都鞍馬山に擬して鬼門の方向にあたる古寺山に守護寺として建立したといわれている。一の谷合戦後衰え、寛正3年(1462)古寺山から麓に移転された。すぐに巨岩の頂上636mである。修行岩、清盛の涼み岩など数個の岩がある。三角点はない。ここまではすべて森林の中で全く展望がなかったが、頂上から西に少し下った岩場から、西六甲の山々や神鉄沿線の住宅街が一望する。正面は加古川・武庫川の分水界の神鉄大池駅である。交代で展望を楽しみ頂上を後にする。

古寺山取付きの急登

多聞寺跡

古寺山山頂の巨岩(修行岩)

山頂直下の展望岩から西六甲の山々と神鉄沿線の展望
「観音道を多聞寺へ」
 観音道(表参道)を下る。はじめ緩やかだった道は急降下を始める。先頭集団が分岐を誤り、元に戻る一幕があった。木の幹にマジックで書いてある目印を見落とした。ジグザグの急降下が一段落した所の展望地で一息入れる。神鉄沿線の住宅地が近づいてきた。再び急降下する。鉄塔を過ぎて大きな堰堤下が六甲有料道路である。危険で横断するわけには行かず、関係者外立ち入り禁止のチエンのある地下道を潜って反対側にでる。ハイカーも関係者である。

観音道を急降下する

六甲有料道路の地下道を潜る

上唐櫃の里から古寺山を振り返る
上唐櫃の里に下りてきた。農家、ため池、カキノ実の風景に心休まる。有野川支流の東谷川を渡り唐櫃六甲台団地を下ると有野川に行き当たる。神鉄の踏切を渡り、R15(湯山街道)を横断すると多聞寺である。山門に平清盛公祈願所とある。160段ともいわれる石段を上り本堂にお参りする。階段の途中で振り返ると古寺山と逢ヶ山を望むことができた。

多聞寺山門

多聞寺本堂
石段下で解散式、次回の案内をする。車道を挟んで目の前が神鉄六甲駅である。今回の参加者は健脚ぞろいで、予定より1時間近く早く下山することができた。用意したエスケープ道は杞憂に終わった。お疲れ様でした。
   文・写真撮影:平山

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